
大學潤
Daigaku Jun
はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師
(国家資格)
はじめまして。

私は昔から、
“誰かを守りたい”そんな人間でした。
中学時代は学級委員、生徒会にも参加、
部活でも部長。
真面目で、規律を守るタイプ。
家では自然と家事を手伝い、周囲からは「お母さんみたい」と言われることも多かったように思います。
当時から私は母性が強かった。
周りの人が心配で、気になって、世話焼きばかりして。
得意だったのは、人に触れること。
マッサージをすると、母や友人、先生が喜んでくれる。
「気持ちいい」「楽になった」
そう、生まれながらに私には「触れることで癒やす才能」があったんだと思います。
みんなの言葉が嬉しくて、幼少から私は「いずれこんな仕事に就きたい」と心に決めていました。


幼い頃からずっと、“美しさ”にも敏感でした。
それは派手さではなく、
その人に似合っているか。
無理をしていないか。
その人らしく在れているか。
心地よく歳を重ねられているか。
そんな感覚でした。
授業参観で見た「厚化粧でやって来た同級生のお母さん」に、なぜか強い違和感を覚えたことがあります。
当時は言葉にできませんでしたが、今思えば、「その人自身と調和していない不自然さ」に反応していたのだと思います。
家では何振り構わず、自分のことは後回しにしていたであろう同級生のお母さんの、
慣れていなそうなリップ。
頑張って塗ったファンデーション。
何だか、つらかった。
今の私が提供してるお手入れを、彼女にもしてあげたい。
きっともっと、その人らしく綺麗になれたはず。
反対に、私のお母さんは、周りからはよく「綺麗だね」「若いね」と褒められていました。
それが私は誇らしかった。
私もそんな風に歳を重ねたいと思っていました。
高校卒業後は、温泉街のホテルでエステティシャンとして働き始めました。
足つぼ、もみほぐし、フェイシャル、オイルトリートメント。
お客様の身体に触れ、疲れが抜けていく瞬間を見るたびに、この仕事にやりがいを感じていました。
けれど同時に、自分の知識や技術不足も痛感していました。
実はエステって、国家資格が無いんです。
だからこそ、知識や技術の差が大きい世界でもありました。
だから私は、もっと深く身体を知りたい。
もっと根本から人を支えられるようになりたい。
そう思い始めた私は、鍼灸の専門学校へ進学する決意をします。
それは強い決意でした。


だけど、私の家庭に余裕はありませんでした。
「やりたいなら、自分でお金を貯めなさい。」
母のその言葉を受け、私は一度実家へ戻り、昼夜働きながら学費を貯めました。
NTTの電話故障受付センターで働き、夜勤にも入り、休みの日には前職のエステでアルバイトをする。
とにかく働いた。
寝る暇を削って、働いた。
あれこそ若さです。
私は、約二年間かけて当時の「赤門鍼灸柔整専門学校」の学費を貯め、鍼灸あん摩マッサージ指圧師科へ進学しました。
マッサージを学びたくて入った学校でしたが、そこで私は「東洋医学」という神秘の世界に出会います。
自然も、心も、身体も、全ては繋がっている。
その考え方は、私の感覚と深く重なりました。
あぁ、エステで勤務していたときの、お客様のあの症状はこういうことだったのか。
逆に、だからあの手技は効いていたのか。
と、答え合わせをする毎日。
解剖学、生理学、経絡、東洋医学。
学べば学ぶほど、人の身体の神秘性に魅了されていきました。


そんな中、一枚のチラシが目に留まります。
「親子スキンタッチ」
そこは、子育て支援をしたいと考える鍼灸師で構成された団体の活動でした。
その講習会に参加した際、先生が言った言葉。
「子どもを笑顔にする事は、お母さんを助ける事」
私は、その言葉に強く心を動かされました。
神秘の世界の知識と、エステで誰かを癒やすことを越えて、
「誰かの人生の役に立つ」ことが出来る実感がありました。
私がやりたいのは、これだ。
そこから私は本気で、大師流小児はりを学び始めます。
鍼灸学校を卒業して、資格も取得した私は、いよいよ結婚。
まだまだ学びたかった私は、大阪で修行する道というものもありました。
だけど私は、“家族”を選びました。
「迷った時に家族という選択肢を選んで間違う事はない」
専門学校時代、お世話になった先生から頂いたその言葉を胸に、私は地元宮城に残る決断をしました。


その後、訪問マッサージの会社へ就職。
高齢者や障がいのある方々のご自宅や施設を訪れ、施術を行う日々。
そこで私は、“老い”を現実として見ることになります。
自分の足で歩けること。
痛みなく生活できること。
身体が自由に動くこと。
自分らしい納得できる姿で生きられていること。
それは、当たり前ではありませんでした。
そして同時に思いました。
「人は、自分の身体を、容姿を、もっと大切にしなければならない。」
そして、私は妊娠・出産を経験します。
新しい命が宿ったと知った時は、本当に本当に嬉しかった。
でも、つわりは想像以上に壮絶でした。
起きた瞬間からHPが残りわずかのような感覚。
四つん這いで移動しながら準備をする日々。
出産もまた、命懸けでした。
死にかけたけど、産めました


そして産後。
子どもに会えた喜びは一瞬。
直後から本当に、本当に、大変だった。
一時間まとまって眠れたら奇跡。
四日目の深夜授乳では、涙が止まりませんでした。
翌朝、鏡を見た私は衝撃を受けます。
そこに映っていたのは、
“自分ではない誰か”でした。
肌は荒れ、髪は乱れ、目は虚ろ。
女性としての自分が消えてしまったような感覚でした。
「キラキラママ」になるつもりでいた私でしたが、そこにいたのは太宰治の羅生門ばりの老婆でした。
でも、その経験があったからこそ、私は知ったのです。
お母さん達は、想像以上に頑張っている。
妊娠、出産、育児。
身体も、心も、生活も、全てが変わる。
それでも毎日、家族のために生きている。
私は、そんな女性達の力になりたい。
そう強く思うようになりました。
そして生まれたのが、
「くるみ堂」です。


“くるみ堂”の名前は、「おくるみ」から来ています。
おくるみに包まれた赤ちゃんは、無防備で、安心しきった柔らかな表情で眠っています。
私もそんな風に、
心と身体を預けられる場所を作りたい。
そして私は、その人の“個”を大切にしたいと思っています。
好きも嫌いも。
長所も短所も。
人に言えない悩みも。
全部含めて、その人だから。
私は、それを否定したくない。
30代になり、子育てをしながら働く中で、私自身も身体の変化を感じるようになりました。
小ジワ。
肌の衰え。
抜けない疲労。
身体も、顔も左右差。
日々いろんな不調。
身体は、放っておけば確実に崩れていく。


それを痛感した私は、
私自身も必要に駆られながら、
お客様からの要望も多数あった「美容鍼」や「肌管理」を、メニューにすることを決意しました。
どうせやるならば、エステ時代の「なんとなく」施術ではなく、
根拠と理論を持って、本当に効く施術がしたい。
もう資格を取って10年弱。
専門学校時代の同級生達も成長しています。
東京都品川区で、予約が取れないほど人気の美容鍼と肌管理の治療院をしている同級生にDMを送りまくり、技術を盗みまくりました。
そして、くるみ堂の美容メニューの監修もお願いし、東京で最先端の美容を宮城・利府に持ち込むことにも成功しました。
今のくるみ堂は、
身体や体調の施術でもあなたを専門的に施術する術を身につけた上で、
さらに東京から運ばれてくる最先端の美容施術も受けられる場所になりました。
私自身もこれらを試しながら、
今、確実にキレイになれたし、健康にもなれたと思っています。
だからこそ、今の私は思うのです。
好きな自分で、生きていきたい。
好きな自分で、歳を重ねていきたい。
そのためには、
不調に気づくこと。
自分を後回しにしないこと。
日々の過ごし方を整えること。
それが、とても大切なのだと。
くるみ堂は、
ただ不調を治す場所ではありません。
お母さんも、女性も、子ども達も。
「私は、どう生きたいんだろう」
そう、自分自身に問い直せる場所でありたいと思っています。
あなたの幸せって、何ですか?
私はこれからも、
その答えを一緒に探していけるような施術者でありたいと思っています。
好きな自分で、生きていくこと。
好きな自分で、歳を重ねていくこと。
そのための場所として、
くるみ堂が在れたら嬉しいです。
鍼灸院くるみ堂
大學潤

